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フランス革命を思い起こさせるコンシェルジュリー

一見華やかなパリですが、英国との大きな違いは王室の有る無し。綺麗に管理されているロンドンの宮殿と比べると、フランスでは元王室の財産にあまり多くの予算が割り当てられていないのは残念です。

ご存知のように、1789年、パリの民衆によってフランス革命が勃発。1793年にルイ16世とその妻であるマリー・アントワネットが処刑され、1799年に革命が終結、今のフランスが建国されることになります。

マリー・アントワネットが15歳でブルボン王朝に嫁ぎ、38歳でギロチンに掛けられると言う悲しい物語は、あまりにも有名ですが、マリー・アントワネットを初め、多くの貴族、学者、文学者などが処刑される前に投獄され ていたのがシテ島にある「コンシェルジュリー・Conciergerie」


フランス革命時代、国民公会によって設立された革命法廷が、ここコンシェルジュリーに置かれ、2年間に2700名が死刑の判決を受け、ここで受刑を待ちました。(ここを訪れると、革命でギロチンに掛けられたすべての人の名前が記載されています。) 後の1914年にこの刑務所は廃止され、歴史資産に指定、一般見学用に開放されています

警備の間。もともとは大広間へ通じる待合室でした。

衛兵の間には、様々な展示物が。
ギロチンに掛けられた受刑者のリスト。その数2700人!

こちらは手書きの名簿です。

まさしくフランス革命を象徴する建物で、中には場所は違うと言うもののマリー・アントワネットが処刑される前2ヶ月間を過ごした独房が復元され公開されています。

コンシェルジュリーの入口です。入場料は7.5ユーロ(約1000円)

パリ通りと言われている場所。死刑執行人の仇名「ムッシュー・ド・パリ」から付けられたそうです。(おー怖)

コンシェルジュリーの全景。前はセーヌ川です。
こちらも如何にも育ちの良さそうな貴族の受刑者。「ピストリエ」といって自費で独房に入っている人です。

囚人たちは持ち物をすべて取り上げられここ「5月の庭」から処刑の場所へ行く馬車に乗せられたそうです。

独房も支払う金額(家賃?)によって設備が違ったようです。こちらは「パイユー(貧乏人)」

神と崇められたルイ14世時代に行われた数々の戦争や新国家であるアメリカへの投資、また、ヴェルサイユ宮殿に代表される派手な生活によって、国家は破産寸前。そこに産業革命に成功したイギリスからの安い品物が大量に流れ込み、どうにも行かない状況を受け継いだルイ16世とマリー・アントワネットは不幸としか言いようがありません。

マリー・アントワネットが処刑された理由は、国家の財産を浪費した罪ということですが、歴史学者に言わすと、ルイ14世が作った借金と比べると取るに足らないものだったようです。

貴重な絵画も沢山展示されています。

衛兵の間・建設当時は王宮で働く人約2000人の食堂として使われておりました。

ギロチンを待つコンシェルジュリーの受刑者達。マリーアントワネットの姿も。

この人がマリーアントワネット(ブルボン王妃)です。

ジロンド党員の礼拝堂です。


フランスでは、革命前の華やかな世界を「アンシャン・レジーム(旧制度)」と呼んでおり、ロココ調の装飾や派手な生活に憧れる一方で、そういったものが非常に脆いものであるという戒めともなっています。 バブル経済による好景気、バブル崩壊、海外から安価な品物が流れ込み、デフレスパイラルによる不況、財政赤字と陥っている今の日本の状況と重ねて考えると歴史の勉強にも興味がわくと思いますが如何でしょうか。

マリーアントワネットはこのように衝立一枚で憲兵に見張られていました。

ここに投獄されている2ヶ月の間このように祈りをささげていたようです。

マリーアントワネットの独房。まったくプライベートな時間を持てなかったそうです。
左の写真の方が書かれた手紙(嘘です^_^;)

独房でお勉強中?の受刑者(の人形)





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