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今週のレポーターは |
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ヴィヴィアン・ウエストウッド回顧展
SEX
& SEDITIONARIESからWorlds Endまで (Vol.2)
ロンドン ヴィクトリア・アルバートミュージアム
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英国のヴィクトリア女王の夫君であるアルバート公の「Art
for All」 (アートはすべての人の為に)という精神から生まれたヴィクトリア&アルバートミュージアム。
そのコレクションは、世界中から集めた、銀器、貴金属、陶磁器、家具からファッションに至るまで多岐にわたっていますが、その中でもある意味、
特殊と言えるのが、ヴィヴィアンウエストウッドの作品の数々。
このことからも、ヴィヴィアンが如何に高い評価を得ているかが良く分かります。
そんなヴィヴィアンが歩んできた34年を、コレクションによって紐解こうと言うのが昨年行われた「ヴィヴィアンウエストウッドの回顧展」
です。
このイベントはワールドツアーとなり、ロンドンの後、オーストラリアで開催、今月から東京の六本木ヒルズ、森アーツセンターギャラリーで行われます。
そのイベントを記念し、先週に引き続きヴィヴィアン展の模様を詳しくご紹介。今週は、時代と共に「SEX」「SEDITIONARIES」から「Worlds
End」 とショップを変化させていった様子を彼女のコレクションをご紹介しながら追ってみます。
I have a kind of in-built
clock which always reacts against anything orthodox.
「私には、人々が正しいと感じていることに常に反発するといった特別な時計が備わっています。」
このヴィヴィアンの考え方が、現在Worlds End にある逆さに時を刻む時計に象徴されています。言葉どおり、ヴィヴィアンの活動は当時の英国の一般世間からは受け入れがたい奇抜なものでした。今週は、そんなヴィヴィアンがパンクの女王と呼ばれるまでの歴史を追っていきたいと思います。
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| Worlds
Endにある逆さ向けに時を刻む時計が、ここヴィクトリア&アルバートミュージアムにも展示されていました。
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その時計の隣には、I have a kind of
in-built clock which always reacts against
anything orthodox. の文章が・・ |
Too Fast 時代のちゃんとした写真は保存されていないようです。ちょっと分かりづらいですが、店の雰囲気はこんな感じです。 |
Too Fast to Live
Too Young to Die 1972年
ヴィヴィアンとマルコムは、ロックをコンセプトとしたショップから、スタッドやジップによってデザインされたバイクライダーの為のレザージャケット中心の品揃えにシフトすることになります。店名は、ライダー達のスローガンであったToo
Fast to Live Too Young to Die(生きるには速すぎ、死ぬには若すぎる)と変更されます。
SEX
1975年
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| 1975年に改名された「SEX」、店内には過激なファッションで埋め尽くされていました。まるでポルノショップ? |
SEX店内に置かれていた有名なジュークボックス。先週ご紹介したCDに、このジュークボックスの曲が収録されています。 |
こちらも店内の模様。なんかSM的な雰囲気が・・・ |
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どうでもイイですが、デカ過ぎです。ショップではこんな過激なプリントがなされた衣類が販売されていました。 |
1975年、別のファッションに注目したヴィヴィアンとマルコムは店をSEXと改名しました。ドアには、以下のようななぐり書きがなされました。
「技術は衣服をもたらすが、本当は裸になることが大好き」
(Craft must have
clothes but Truth loves to go naked)
内部にはポルノの落書きがスプレーされ、ラバー・カーテンが掛けられ、セックスやフェティッシュをモチーフとした衣類が並べられました。
ヴィヴィアンには、人々が驚きを感じるようなそれらの衣服が、非常に愛らしく見えたようです。事実、当時を知る人は、まるで別の惑星からきた王女様のように見えるそれらのファッションが非常に気に入っていたと語っています。
その店は、風変わりな常連客を引きつける特異な魅力があったようです。もちろんお客だけではなく、店員の一人はラバーの洋服を身にまとい、ミツバチのようなヘアスタイルに仰々しいメイクという井出達でした。毎日の通勤の際、英国鉄道が彼女を保護(と言うか隔離?)するためにファーストクラスに乗せたという話まで残っています。
店内に置かれたジュークボックスからは大音量でロックが流され、その音楽目当てに集まる常連客からセックス・ピストルズが結成され、次の時代(セディショナリーズ)に移っていきます。もちろん、ジョニーロットン(Johnny
Rotton)もこの店にたむろしていた一人です。
セディショナリーズ(動乱扇動者)
ヒーローのための衣服 1976-1980
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| サッカーファンによって頻繁に割られてしまうウインドウに嫌気をさしたヴィヴィアンは、白いボードで店を覆ってしまうことになります。その上にはパンクによって過激な落書きが施されました。 |
セディショナリーズ店内の様子。壁にはピカデリーの写真が逆さまに飾られ、テーブルの上にはカゴに入れられたねずみが置かれていました。 |
1976年、マルコムはキングスロード430番地のショップをセディショナリーズ(動乱扇動者)と改名します。
内装は、上下逆さまのピカデリー・サーカスおよび荒廃したドレスデンの写真を使うといった奇抜なもので、テーブルにはかごに入れられたネズミが置かれていました。
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| セディショナリーズの店内で撮影されたスタッフのスナップ。 |
こちらもセディショナリーズのスタッフです。当時、大流行したデストロイTシャツ。(下の写真参照) |
パンクファッションから派生したヴィヴィアンのセディショナリーズコレクション。 |
これらの衣服は安くありませんでしたが、パンクファッションは、凄いスピードで広まっていきました。その後、ヴィヴィアンが40代の初め、パンクの衰退とともに彼女は新しいファッションに着目することになります。
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| ご存知セックスピストルズのコンサートからの一こま。ジョニーロットンが着ているのがセックスピストルズのスローガンであるデストロイTシャツ。 |
英国の有名なディスコでのスナップ。デストロイTシャツ流行ってます。 |
このお姉さんが当時のヴィヴィアンウエストウッド。デストロイTシャツとヘアスタイル&メイクがバッチリはまってますね。 |
1980年にヴィヴィアン&マルコムのショップは「Worlds
End」と再び改名されますが、そのころからヴィヴィアンは本格的なデザイン活動をスタートさせます。パンクの女王と呼ばれたヴィヴィアンが、世界的なデザイナーとして認知されるに至ったコレクションの数々は来週じっくりご紹介できると思います。
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| レデストロイTシャツの現物です。だいぶ着込んだ物のようで、ちょっぴり色あせていました。 |
こちらもセディショナリーズコレクション。ユニオンジャックTシャツです。 |
セックス・ピストルズのコンサートのポスター。実際には、ほとんどの会場が使用禁止だったようです。 |
ヴィヴィアンウエストウッドの商品ページはこちら
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