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歴史と芸術の街

フィレンツェ Part 2


フィレンツェの歴史は、メディチ家の歴史と言われるほど、その存在は欠かすことのできないものと なっています。今週は、当時ヨーロッパ一の巨万の富を得たメディチ家がどういう風に活躍し、滅亡していったのかにスポットを当てたいと思います。

メディチの名前は、「薬」という意味で、以前はミョウバン(薬の一種)を売っていたようです。 その後、ジョヴァンニ・ディ・ビッチ(1360年-1429年)の代に、銀行家として莫大な財を得、大成功をなしたことからメディチ家の繁栄がはじまります。

ウフィッツィ美術館です。
長い回廊の横から、絵が展示されている部屋に入ります。
天井の一つ一つはこの柄。これがずっと続いていました。

ジョバンニの息子、コジモ(1389年-1464年 コジモ・イル・ヴェッキオ)が政府の実権を握りましたが、コジモの孫のロレンツォ(1449年-1492年)の浪費から、メディチ銀行は破綻寸前となったようです。 事実、ロレンツォは、ボッティチェリ、ミケランジェロなどの芸術家を多数保護するパトロンだったことで 知られています。

彼は絵の中では美しい貴公子ですが、実際はとても不細工だったというエピソードが残っていますが、当時は写真がなかったため、自分をよく描いてくれる画家が人気だったとか。

ボッティチェリの”ヴィーナス誕生”は、名画中の名画です。
同じく”春”も並んで名画の一つ。
ヴェッキオ宮の前にある彫刻は、外に置いてあることにビックリするくらいの作品です。

このロレンツォの死後、メディチ銀行は破綻。一時追放されたメディチ家ですが、1530年にクレメンスと皇帝カール5世が和解、フィレンツェ公にアレッサンドロが選ばれ、再び日の目を見ることになります。

彼は空しくも暗殺されますが、傍系のコジモ一世が1569年には「トスカーナ大公」となり、フィレンツェを 豪華な宮殿やモニュメントで飾り立てました。

ダビデ像はここにもあります。本物より小さめです。
メディチ家礼拝堂は大理石がふんだんに使われていました。
礼拝堂には、ミケランジェロの作品”曙”、”黄昏”、”昼”、”夜”があります。

メディチ家の財力を結集したルネッサンス美術の全てがある”ウフィッツィ美術館”。 見所は多いのですが、宗教画にあまり興味がない方でも世界の名画である”ヴィーナス誕生”と”春”は本当に見る人を魅了します(私も大好きな絵です)。

ここは、朝早く行くとかなり混んでおり、2、3時間は待たされるので予約をとっていくか、平日の4時ごろに行くことをおすすめします。

メディチ・リッカルディ宮の外観の簡素さには理由がありました。
彫刻もイタリアっぽくてステキです。
お庭はこんな感じです。

メディチ家礼拝堂は、ミケランジェロの銅像で有名ですが、内部には惜しみなく貴石や大理石が使われており、すでに政治的な権力を失っていたメディチ家の虚栄をあらわしています。

メディチ・リッカルディ宮は、外観はとてもシンプル。これは、市民の嫉妬がどれだけ恐ろしいかということを知ったメディチ家が外観だけでも簡素にと故意に友人の建築家ミケロッツォにデザインさせたものでした。1460年から約100年間メディチ家の住まいとして使われました。

こんな素敵な部屋でパーティがしてみたいです。
天井画も素晴らしくゴージャス。
ここは、何と会議室です。

メディチ家は、1737年に第7代トスカーナ大公ジャン・ガストーネが後継者を残さず死亡したことにより 断絶し、その歴史を閉じることになります。

というわけで、今日ある華々しいフィレンツェは、メディチ家の繁栄なしでは存在しなかったと言っても 過言でないほど大きな役割を果たしていたんですね。

それにしても、芸術って、ほとんどがこういった権力者がパトロンとなって成り立っている訳ですが、 これだけの美術品を集めるほどの巨万の富を持っている人って、今でもいるんでしょうか?

 


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